プロフィール
1938年大阪市に生まれ、府立北野高校を経て、東京大学に進み、在学中の1961年に弁理士試験に
合格し、翌春卒業と同時に登録して弁理士となった。ところが、数日後特許庁で通産官僚として
新任研修中の同級生と出会い、官の仕事の大きさ(当時は正に「官僚国家」だったのだ)に突然目覚め、
同年の国家公務員上級甲種試験(法律)合格を経て、文部省に入省した。
キャリアの行政官として省内外で多様な仕事に携わったが、20代後半には経済企画庁総
合計画局の専門調査員として、各省庁(一部民間も含む)から来たエリートと共に、文字通り
国全体の将来をマクロに考察し、大いに視野が広がった。文部省などという、ちっぽけな
枠にとらわれなくなったため、いまでも個人としては大いによかったと思うが、官僚とし
ては、デメリットもあっただろう。
30代前半には宮城県教育庁指導課長として、特に同県の情報処理教育の振興に先鞭をつ
けた。このことについて、当時は賛同しない県教委関係者も多かったが、時の流れと共に
その先見性が理解されるようになり、最近に至るも当時の指導主事さんなどと仙台で毎年
のように歓談の機会を持っている。
30代後半には総理府で「青少年白書」の企画・執筆・とりまとめに4回あたった。これ
が結構好評で、全国紙の「ひと」欄に私自身が掲載されたことなどもあって、個人的な著
書を執筆する機会をいくつもの出版社から与えられるようになり、公務のかたわら週末は
専ら著述に励む日々が40代半ばまで何年も続いた。
1987年春に官を辞して、日本橋学館大学(当初は前身の日本橋女学館短期大学)の教職に
転じ、「研究と教育」を本務とすることになった。公務員時代と違って、著述も当然本務の
内であるから、時間的にはとても余裕ができた。
そして、いま振り返れば長くも短くも感じられる22年の歳月 (この間のできごとは、ま
だ生々しい側面がたくさんあるので、とりあえずいっさい触れないが、今後このホームペ
ージでも少しずつ書きたいと思っている) が流れ、2009年3月に定年を迎える。これによ
って大学運営面の諸々からは解放されるが、4月以降も正規の授業を担当することになって
おり、「研究と教育」の仕事は続く。
と言うのは、ちょうど2009年度から本学も教員免許状取得のための「教職課程」が認定
される運びとなり、私自身も「教職論」「学校の制度」「教育課程論」「総合演習(テーマは男
女共同参画社会)」の各科目の担当教員として申請され全て認められているため、これらの
中で1年次開講科目である前3者は2009年度に当然担当しなければならない。その他に、
定年前に担当していた科目の授業で引続き依頼されているものもあり、前・後期とも週2
日大学に出講することとなっている。
(追記)定年に際して大学から「名誉教授」の称号をいただいたが、引き続き大学に出講
しているので、生活のペースはほとんど変わらず、ありがたいことである。